2022/1/8 09:17
山形市飯田などの青春通り第1号店としてオープンし、その後仙台市に移転して営業を続けてきたレストラン「黄色いからす」が来年秋に店を閉めることになった。開店から36年にわたり、二人三脚で切り盛りしてきたのは池野三千雄さん(75)和子さん(75)夫妻。こだわりのランチと家庭的な雰囲気で人気を集めているが「体が言うこと聞かなくて」と三千雄さん。惜しまれつつ最終章を迎える。
仙台の泉パークタウン。目印だった真っ黄色の壁、看板のロゴは山形時代と同じだ。天窓から日が差しこむ店内にジャズが流れる。年末のある日、三千雄さんが体調を崩し予約客のみ対応するつもりでいたが、飛び込み客は後を絶たない。結局、夫は得意のギャグをかましながら注文を受け、妻和子さんは調理場でフル回転するいつもの光景に。
夫は山形、妻は尾花沢市出身。山形市で結婚生活を送っていた1985(昭和60)年、夫が40歳を前に脱サラを決めた。喫茶店経営は頭になかったものの、不動産業者の勧めで現地を下見すると、妻は「やりたい」とすっかりその気。夫は押し切られた。自己資金ゼロだったが、世はバブル絶頂。全額借金して青春通り第1号として店を構えた。
避暑地のペンションっぽく黄色に染め、店名は昔見た映画から。元調理教室講師の妻が腕を振るう和洋食、夫がサイホンから入れるコーヒーで店は軌道に乗った。東北芸術工科大の開学効果も加わり、土日は150人が切れ目なく訪れた。15年がたち、手狭さを感じるとともに、冬場の除雪も重荷になってきた。暖かい土地への移転を考えるようになった。
かつての常連客が泉パークタウンについのすみかを構え、呼び寄せるように段取りしてきた。この時も決めたのは妻の一言。開発途上の土地を見渡し「夢があってやれそう」。「石橋を渡ってからたたくタイプだから」と夫は苦笑する。
仙台に移転して21年。山形より長くなり、東日本大震災、新型コロナウイルスと幾度も苦難を乗り越えてきた。ニシンの甘露煮をパスタに載せた「からす村」など山形時代から積み重ねたメニューは約70点。秋限定のイクラ丼は「仙台で一番豪華」との評判で、地元きっての名店になった。
「首から上は絶好調なんだけどね」と三千雄さん。震災から続く脚のしびれや複数の疾患を抱え「潮時かな」。今の営業許可期限の2023年11月で引退することにした。「『ごちそうさま、また来るね』の言葉に励まされてきた」と和子さん。多くのファンに感謝を伝える日々は、もうしばらく続く。
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