新型コロナウイルスの感染拡大によって、大打撃を受けている飲食業界。米国のポートランドでは、この変化に合わせてレストラン自身が生まれ変わろうとしている。シェフや従業員が誰ひとり接触しない店舗運営、高級路線から家庭的な料理への転換、そして小規模な店舗への移行──。シェフたちの挑戦からは、これからのレストランのあり方が見えてくる。
TEXT BY JESS GREY
TRANSLATION BY KAREN YOSHIHARA/TRANNET
米国のオレゴン州で、まだロックダウンが始まっていなかったときのことだ。カート・ハフマンは3月14日の土曜日、自らがポートランドで共同経営する新しいレストラン「Bar King」に家族を連れてディナーに出かけた。ハフマンが経営するもうひとつのレストラン「Loyal Legion」の近くにオープンしたばかりの店で、その日はどちらも盛況だった。
普段であれば、これらの店の混雑ぶりは喜ばしい光景のはずだろう。しかし、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)の深刻さが明らかになってきた時期とあって、混み合うレストランを目にしたハフマンは胸騒ぎを覚えた。このままレストランの営業を続ければ、利用客のみならず、従業員や自分の家族までも危険に晒すことになるのではないか──そんな不安が湧き上がってきたのだ。
その日の夜遅く、ハフマンはレストランを休業するよう、ビジネスパートナーたちを説き伏せた。「レストラン業界は自分たちや一般市民を守ることを優先する。その意思表示を政府に向けてするために、自分たちにできるささやかなかたちで手本になるべきだと感じたのです」とハフマンは話す。
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繁盛店の募る不安
同じ週末、数々の受賞歴をもつ韓国料理レストラン「Han Oak」のシェフのピーター・チョも、台帳に記された予約の数を目にして不安を募らせていた。長年にわたり地元の人気レストランだったHan Oakは、Netflixの番組「アグリー・デリシャス:極上の“食”物語」にも登場し、その評判は高まるばかりだった。
そんなチョは、ソーシャル・ディスタンシング(社会距離政策)をとりわけ熱心に実行していた。というのも、レストランが営業している建物には、チョウと妻、さらにビジネスパートナーであるパク・サンヨンの自宅も入っているからだ。
「わたしは少し不安に感じていました」と、チョは言う。「その週の金曜には、もう店を閉めてもいいとさえ考えていました。でも店で多数決を採ったところ、従業員たちは週末までは働きたいという意思を示しました。『もう予約も入っているし』とね」
翌週の月曜である3月16日、オレゴン州のケイト・ブラウン州知事が飲食店での店内サーヴィスの禁止を発令した。州政府は、州内すべてのレストランにおける料理の提供をテイクアウトとデリヴァリーのみに制限し、さらに25人を超える人数の集まりも禁止したのだ。
その翌週末までにはオレゴン州を含む米国内28州で外出禁止令が発令され、必要不可欠な事業以外は閉鎖となった。住民の不要不急の外出も禁止された。
誰ひとり「接触」しない新たなシステム
幅広く閉鎖が実施された結果、多くのレストランは収入を維持するために料理のデリヴァリーやテイクアウトのサーヴィスへと方向転換を図った。不測の事態に対処しなければならない状況ながらも、一部のレストランは難局をうまく切り抜けている。
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シェフのアーロン・アダムズは、ポートランドで「Farm Spirit」と「Fermenter」というふたつのレストランを経営している。Farm Spiritは、農家から直接仕入れた食材を提供する“ファーム・トゥ・テーブル”を実践するシックなレストランで、Fermenterはランチを提供するカジュアルなカウンター式のレストランだ。この2店も400フィート(約120m)という近い距離にあり、さらにその中間地点にウォークイン型の冷蔵室を備えている。
この3つの空間を活用して、アダムズはキッチンとサーヴィスの新たなワークフローを整備した。シェフたちがまったく接触することなく、ひとりずつ孤立したかたちで作業できるようにしたのだ。アダムズがInstagramに投稿したこの仕込みのフローチャートは、ソーシャルメディアで拡散されている。
アダムズは、正看護師である妻ジェニーが働く病院に導入されていたガイドラインから、この着想を得た。「(わたしたちのレストランでは)ひとつのキッチンで1人が、別のキッチンで1人がそれぞれ孤立したかたちで作業し、できた料理をそれぞれが異なるタイミングで冷蔵室に運んで並べるようにしています」と、アダムズは語る。「そのあと調理担当者は、作業した場所を消毒してから帰ります。続いて別のスタッフが出勤し、時間をかけて再度消毒してから帰ります。つまり、それぞれが接触せずに済むようなシステムを構築したわけです」
この新たなシステムを図解したフローチャートを、アダムズはオレゴン大学の食品科学者と、オレゴン健康科学大学で教授を務める医学博士に見せ、両者からこの新しいワークフローへのお墨付きを得た。何よりも心強いお墨付きとなったのは、アダムズの安全対策を見たその博士が、レストランに料理を注文してきたことだった。
新しいスタンダードを求めて
Han Oakのチョもアダムズのモデルを参考に、自分のレストランに導入できるシステムを構築しようとしている。「昨日、(アダムズと)1時間ほど話をしたんです。そのおかげで、ようやく安心して導入できるシステムに出合えたと感じられました」
アダムズが構築した計画が手元にあるとはいえ、Farm SpiritとFermenterのような分離された構造になっていないHan Oakに転用するには、かなりの調整が必要となるだろう。それでもチョは、たとえサーヴィスをデリヴァリーとテイクアウトに限定するにしても、アダムズがつくったようなワークフローを導入せずしてHan Oakを再開することは考えていない。
「今後は、これが新たなスタンダードになっていくでしょうね。わたしたちがこういった対策を整備し、自分たちで管理していかなければならなくなると思います」と、チョは語る。「それでも安全性を完全に保証できるわけではありませんが、わたしたちは外科手術のごとく衛生面に注意を払ってレストランを運営していくつもりです」
もうコース料理なんていらない
世界を揺るがす大事件というものは、人々の優先事項だけでなく、嗜好までも変えてしまうのが常だ。第一次世界大戦後に英国の高級料理は、はるかにシンプルなものになった。米国では第二次世界大戦中から戦後にかけて高速道路が整備され、豊かになった中流階級の人々がクルマで外出する機会が増え、ファストフードが急速に普及した。さらに最近の例では、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件の発生後には、伝統的な高級料理の客離れが進み、温かみを感じられる家庭的な料理に人気が集まるようになった。
アダムズが最初のレストランをオープンした2008年は不況のさなかだった。このためアダムズは不況下の外食業界の様相を熟知している。それでもFarm Spiritを、休業に追い込まれる前と同じようなレストランのまま維持できると楽観しているわけではない。
「今後また不況が始まると、わたしは予想しています。そのような経済環境で、どのようなレストランを運営していくべきか模索しているのですが、現在のFarm Spiritのような高級感のあるレストランがその答えだとは必ずしも思えないのです」
パンデミック発生以前のFarm Spiritは、10皿から12皿で構成されるコース料理を1人あたり120ドル(約12,900円)ほどで提供していた。アダムズの店に来る客は、主にそういった贅沢なレストランで食事を楽しむためにポートランドを訪れた金回りのよい観光客だったのだ。
「それと同じスタイルを維持しようと考えるのは、愚かなことだと思うのです」と、アダムズは言う。「わたしは変わることを楽しみにしています。正直なところわたし自身、10皿もあるコース料理を食べたくてしょうがないと思ったことなんてないからです。だって『あぁ、今夜はどうしても10皿のコース料理を食べに行きたいなぁ』なんて思わないでしょう。気持ちを満たしてくれるような料理を食べたいと思うものです」
賢い選択以上の大きな意味
Han Oakのチョにとっても、ビジネスを縮小してより少数の客をターゲットにするという案は、厄介ではあるものの不可能な話ではない。そもそもHan Oakはごく小さな規模でスタートしたからだ。チョは当時を思い返しながら、今後どうすべきか模索している。
「オープン当時はかなり小規模でしたね。シェフはわたしともうひとりだけ。あとは妻と、家族ぐるみの友人ひとりでした」と、チョは振り返る。「ひと晩のお客は25人くらいでした。ですから、いまのビジネスを完全に縮小し、そこからまた徐々にやり直して、再建するやり方は、よくわかっています」
アダムズをはじめとするレストラン業界で長く生きてきた人々にとって、新たな顧客をターゲットに据えて変化することは、単にビジネスを継続し、雇用を維持するための賢い選択以上の大きな意味をもつ。
「わたしたちが置かれている資本主義社会が、どれだけ不安定な状況にあるのかを実際に目にした以上、裕福な人々にだけ食事を提供することを重視したレストランなど続けていけるでしょうか?」と、アダムズは問いかける。「もしそうすることを選ぶのであれば、それはわたしが良心に欠けた人間ということになると思いますよ」
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