◆原爆投下の日に生まれ…「平和」を演出
世界中の青空を全部東京に持ってきた-。
生中継したNHKアナウンサーがそう形容した頭上の色彩が、最高の舞台装置になった。
一九六四(昭和三十九)年十月十日、東京五輪の開会式。午後三時すぎ、聖火を手に、十九歳の主役が国立競技場に入ってくる。
最終聖火ランナー坂井義則(二〇一四年死去)の白いシャツの胸に、日の丸と五輪の印が映える。
早稲田大競走部の一年生は、百六十三段の階段を駆け上がり、高さ三十二メートルの聖火台から競技場を見下ろした。ジャケット姿や民族衣装の選手らが、カラフルな景色をつくっている。
「まるで、人のじゅうたん。この美しさが五輪だ、平和だ」。坂井が振り返った言葉を、親交があった元本紙記者満薗文博(70)は忘れない。
「平和」こそ、敗戦で傷つき、復興を目指したニッポンが、聖火に織り込んだメッセージ。ギリシャ・オリンピアから運ばれた聖火は、まず米国占領下の沖縄に到着した。そして、聖火台に灯をともす坂井に「ヒロシマ」が重ねられた。四五年八月六日、原爆が広島に落ちたその日、坂井は広島県内で産声を上げた。
巧みに練られたストーリー。海外メディアは坂井を「アトミック・ボーイ」と呼び、国内メディアは「原爆の子」と訳して広めていった。
◆切り離せない戦争の記憶
最終聖火ランナー坂井義則の到着を待つ国立競技場で、七万五千人の観衆が、九十三の国・地域から集まった選手の入場行進に見入っていた。
スタンドにいた作家杉本苑子(そのこ)(二〇一七年死去)は、この二十一年前の十月、同じ場所で見届けた行進を頭に浮かべていた。共同通信に寄せた「あすへの祈念」と題したコラムに、その思いを書き残している。
「出陣学徒壮行会の日の記憶が、いやおうなく甦(よみがえ)ってくるのを、私は押さえることができなかった」
一九四三(昭和十八)年十月二十一日、当時十八歳の杉本は、明治神宮外苑競技場の観客席にいた。戦後に国立競技場となるその地で、戦地に赴く学生約二万五千人が、勇壮な行進曲とともにトラックを歩んだ。
見送るのは女学生ら約六万人。杉本の記憶では、五輪開会式で昭和天皇が臨席されたロイヤルボックスの辺りに、学徒出陣当時の首相東条英機が立ち、「敵米英を撃滅せよと学徒兵たちを激励した」という。
何よりも、秋晴れの五輪開会式とは違い色彩が乏しかったと、杉本はつづる。「暗欝(あんうつ)な雨空がその上を覆い、足もとは一面のぬかるみであった」
切っても切れない五輪と戦争の記憶。坂井は、重い歴史の象徴を背負わされていた。
「引きつっているとまではいかないが、表情がない感じだった」。国立競技場の千駄ケ谷門で坂井に聖火を引き継いだ鈴木久美江(71)=現姓・井街(いまち)=が思い起こす。
聖火リレーコーチの一人が緊張した坂井を心配し、当時十五歳の鈴木に「一声かけてあげて」と促している。
「大丈夫ですか」。鈴木の問い掛けに、坂井は短く答える。「階段に気を付けるよ」。表情がふっと緩んだように見えた。
「孤独感」。八〇年に坂井が早大で講演した際、国立競技場のゲートを一人でくぐる心境をそう表現したのを、学生だった山田将治(61)は覚えている。
特に印象深いのは、母校早大の応援歌「紺碧(こんぺき)の空」が「無意識に頭に浮かび、孤独感が消えていった」と坂井が語ったことだ。
五輪の翌年、原爆の非人道性を告発する「ヒロシマ・ノート」を発表する大江健三郎は大会当時、二十九歳。スタンドから坂井の聖火台点火を見届け、感慨深くこう記す。
「いま、広大なスタディアムのふたつの核が、ロイヤルボックスにたたずむ人影と、そこにむかって晴れわたった空にくっきり浮かびあがる<原爆の子>かれだ」
後にノーベル文学賞を受ける文学者が、昭和天皇と対比したほどの存在感。それは必ずしも、競技者として五輪出場を目指していた坂井が望んだ姿ではなかった。 (敬称略)
◇
新型コロナウイルスの感染拡大で、東京五輪が来年七月に延期された。聖火は五輪組織委員会の管理の下、「その日」に向けてともり続けている。かつてもさまざまな困難に揺れた聖火の理想と現実を、坂井義則の人生を軸にひもとく。
<坂井義則(さかい・よしのり)> 1945年8月6日、広島県三次(みよし)市生まれ。三次高時代には国民体育大会の陸上400メートルで優勝。66年アジア大会(バンコク)では400メートルで2位、1600メートルリレーで金メダルを獲得した。大学卒業後フジテレビに入社。スポーツの報道や事業などに携わった。2014年9月、脳出血のため69歳で死去。
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