平和な世に現れるという伝説の生き物“麒麟”。戦国時代末期、戦が絶えず混迷する世の中を必至に生きていた明智十兵衛光秀(長谷川博己)が、麒麟を呼ぶにはどうしたらいいか、麒麟を呼べる人は誰か、を問い続け、追いかけてきた物語。
それは、光秀と“麒麟を呼べそうな男”として期待された織田信長との「バディ大河」でもあった。1月31日に放送された『「麒麟(きりん)がくる」 いよいよ本能寺スペシャル』に出演した、大河ドラマの熱烈なファンであるタレントの松村邦洋は、「正面からぶつかり信長を育てていく光秀。優秀な光秀をしっかり描いた。謀反人のイメージだった光秀が新しく生まれ変わった」と、本作を称賛した。
『麒麟がくる』の時代考証を担当した小和田哲男氏も2月6日に放送された『土曜スタジオパーク』内のVTRで「長谷川さんが演じてくれた明智光秀は本当にさわやかで、どうしてもいままでは光秀というと謀反人、反逆者と悪者扱いされてきたが、光秀像が一新された」と、“長谷川光秀”を絶賛。
これを受けて生出演していた長谷川は「(新しい光秀像を)描いていいものなのか、責任も生まれてくる。刷新していけたら一番の成功だと思ったと同時に、果たして100%これで正しかったのか、わからない」と謙虚にコメントしていた。
そして、最終回を観た視聴者の中には、「すごい愛憎劇をみた」「壮絶な愛の物語じゃないかこれ」といったつぶやきも。信長が光秀に「二人で茶でも飲んで暮らさないか」と言ったシーンでは「プロポーズか!?」の声が上がるなど、光秀と信長が築いてきた関係性の先にあった『麒麟がくる』の「本能寺の変」に、多くの視聴者が愛を感じ、共感し、感動もしたようだった。
本作の信長は、うつけ者というより愛に飢えたピュアな人、ピュアすぎて狂気的な行動をとってしまう人で一貫していた。そして、自分にはないものを持っている光秀にひかれ、誰よりも頼りにしてきた。最終回の「(光秀と)戦のない世を作ろうと話そうとしたのはいつのことじゃ。二人で延々と戦をしてきた。将軍(足利義昭)を討てばそれが終わる」というせりふからは、光秀が望んだ“麒麟がくる世”を作るため、信長なりに一生懸命だったことが伺えた。
光秀は徹頭徹尾、真っ直ぐな人だった。最終回でも「殿は戦の度に変わってしまった」と、その行き過ぎた態度をいさめた。しかし、信長に「わしの背を押したのはお主(十兵衛)であろう。そなたがわしを変えたのじゃ」と言われてしまう。信長の中に、自身の中にある“鬼”、負の要素を見てしまう光秀。
そんな光秀と信長を描いてきたからこそ、信長が最期に残した言葉として伝わる「是非に及ばず(光秀の謀反ならば仕方ない)」にも説得力があった。長谷川と染谷の熱演は言うに及ばず。
なお、『麒麟がくる』最終回は、放送後1週間、配信サービス「NHKプラス」で視聴可能。また、総集編が、今月23日午後1時5分から総合テレビとBS4Kで放送される。総集編の語りは帰蝶役を務めた女優の川口春奈が担当。主人公・明智十兵衛光秀(長谷川)と織田信長(染谷将太)の出会いから「本能寺の変」に至るまで、帰蝶の目線で振り返る。
からの記事と詳細 ( ORICON NEWS:[麒麟がくる]完結、明智光秀のイメージが変わったの声 - 毎日新聞 )
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