しかし、この店のレシピを考えたシェフの姿は店にはありません。
キッチンに立てる日はいつになるのか…
シェフの到着を待ち続けています。
(大津放送局 記者 光成壮)
江戸時代の城下町に…
レストランがオープンしたのは5月27日。
店は滋賀県彦根市の江戸時代の城下町をイメージした商店街にあります。
午前10時の開店とともに少しずつお客さんが入ってきました。
提供されているのは「ボルシチ」
運ばれてくると、スパイスの効いたこうばしい香りが店内にただよいます。
こちらは「ムレンツィ」
店の看板メニューは「ホロデッツィ」
煮込んだ肉や野菜などをゼリー状の煮汁で包んだ料理です。
参考にしたのは夫のレシピ
この店を切り盛りするのは、ウクライナ出身のイリーナ・ヤボルスカさん。(52)
イリーナさんは、ウクライナにいるローマンさんと電話をつなぎ、料理のレシピについて一つ一つアドバイスをもらいました。
イリーナさん
「日本のお客さんに店に来てもらい、料理を食べたり、私たちと話をしてもらったりして、ウクライナについて知ってもらいたい」
夫を残して日本へ
イリーナさんは、去年までは夫のローマンさんと母親のギャリーナさんとともにウクライナ東部のハルキウで暮らしていました。
自宅の隣の建物もミサイルによる攻撃を受け、ウクライナを離れる決意をします。
去年3月、イリーナさんと母親のギャリーナさんは、無事に彦根市に避難することができました。
ウクライナの防衛体制強化のため成人男性は原則、国外への渡航は認められていないからです。
キッチンカーで伝統料理を
クラウドファンディングで資金を集め、去年5月、キッチンカーでウクライナの伝統料理の販売を始めたのです。
客がなかなか来ない、キッチンカーが事故にあうなど、さまざまな困難はありましたが、店は徐々に軌道にのります。
口コミやSNSを通じて評判が広がり、滋賀だけでなく、関西各地、東京などのイベントにも出店するようになりました。
夫に希望を持ってほしい
ビデオ通話などで連絡は取れますが、いまもほぼ毎日ミサイルの警報が鳴る状況が続いています。
表情も以前と比べ緊張感があり、しわが目立つようになりました。
実はローマンさん、若い時に世界中を行き来する大型貨物船のシェフとして働いていたのです。
北海道や東北の港町にも立ち寄ったことがありました。
「独り祖国に残るローマンさんに希望を持ってほしい」
戦闘が長期化し、いつ終わるかの見通しもつかないなか、そう願いながら家族で考えました。
店はウクライナの古民家風に
キッチンカーの営業で得た利益で足りない開店資金は、クラウドファンディングで募りました。
1か月余りで目標としていたおよそ350万円が集まり、料理に必要なオーブンやテーブルなどの購入にあてました。
店の内装は、家族で話し合った結果、ウクライナの古民家をイメージしたものにすることを決めました。
キッチンカーよりも身近にウクライナのことを感じてもらう場所にしたい。
イリーナさんと、DIYが得意な娘のカテリーナさんが中心になって、そうした思いを抱きながら作業を進めました。
イリーナさんにとって、このレストランはキッチンカーの延長線上にあるという思いがあります。
イリーナさん
「キッチンカーはいろいろな場所で祖国の伝統料理を販売することができたが、提供できる料理に制限がありました。自分たちのお店があれば、お客さんにたくさんの料理を提供できますし、日本の人にウクライナについてより身近に感じてもらえると思います」
イリーナさんを支え続けている義理の息子の崇さんは、このレストランを通じて、家族全員が前向きになっていることを感じていたと言います。
菊地崇さん
「祖国のことを思って暗くなったりすることもあるが、前向きに動き出している姿を見て、家族としてとても誇らしいです。お父さん(ローマンさん)が非常に苦しい状況に置かれている中で、料理店の開業が前を向く活力のきっかけになると期待しています」
「きれいだよ、気に入った」
その日、イリーナさんたちはローマンさんとビデオ通話をつないで店を見てもらいました。
内装やテーブル、店の外観を順番に写しながら、夫に店内の様子を説明していきます。
ローマンさん
「きれいだよ、気に入った」
イリーナさん
「安心した」
イリーナさんからは笑顔がこぼれていました。
作れる料理もバリエーションが増えました。
ローマンさんが考えたレシピをもとに、イリーナさんが一つ一つ、ローマンさんの味を再現。
2人で電話で話しながら、日本人の口に合うよう試行錯誤を繰り返しました。
イリーナさん
「夫が日本にいてくれたらよかった。夫も日本で一緒に内装工事をしたり、メニューを考えたりしたかったと言っています」
夫のローマンさん
「日本とウクライナの料理を一緒にやるのが理想。お客さんが喜んでくれる料理を作りたい」
Faina オープン
「Faina オープン!!」
イリーナさんの明るい声とともに料理店がオープンしました。
「食べた人から多くのFainaをもらいたい」という願いを込め、キッチンカーの時から使っていた名前をつけました。
壁には首都のキーウや南部のオデーサなど、ウクライナ各地を写した美しい写真を飾ったほか、テーブルにはカテリーナさんがウクライナの地図に花柄を描いたランチョンマットを敷きました。
店にはこれまでイリーナさんたちを支えてきた人や地元の客が次々と訪れました。
「支援するとなると、なかなか始めにくいこともあるかもしれないが、お店でおいしいものをいただくことで避難民の方をサポートできるのであれば、このうえないことだと思います」
彦根市から訪れた男性客
「レストランを通じて、ウクライナの文化について少しでも知って、平和を考えるきっかけになるのはとてもいいことだと思います」
前向きに 夫を待ちたい
先の見えない避難生活で、祖国の状況を知るたびに不安も募ります。
それでもイリーナさんは、ローマンさんがシェフとしてキッチンに立つ日を待ち続けています。
イリーナさん
「本当は早く戦争が終わってウクライナに帰って家族一緒に暮らすのが1番の希望ですが、今のウクライナの状況では、その選択肢は考えられません。夫はいまも祖国に残っていますが、気持ちでは私たちと一緒にいます。日本に来られるようになったら夫と一緒にキッチンに立ちたいです」
大津放送局
記者 光成 壮
厳しい状況が続く中、この料理店が家族にとって確かな「希望」になっている。その「希望」の一歩を応援したいと強く思いました。
からの記事と詳細 ( シェフを待ち続けるレストラン - nhk.or.jp )
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