午後6時、ある高級ホテルの玄関前から緩やかに上る石畳を歩くと、日本家屋のような一軒家が見えてきた。表札には小さく「IMAMURA」の文字。ここで供される一皿を目的に、連日、美食家たちがセントーサ島にやってくる。
打ち水された玄関先から店の扉を開けると異世界が広がる。大理石のカウンターや黒・いぶし銀のキッチンで構成する空間は、あたかも宇宙船に乗って夜の旅を始めるかのようだ。
13席あるカウンターに座ると、キッチンの奥まで見渡せた。店内は椅子の寸法から照明の角度まで、ゲストが快適に過ごすための綿密な計算がなされている。キッチンの向こうに、柔和な笑みを浮かべた今村シェフが現れる。食と会話を楽しむ「今村劇場」の始まりだ。
この日の前菜はハスの葉の上に京都産の岩ガキとレンコン餅がのった料理だ。ピンクのハスの花にみたてたミョウガのほか、緑のずんだ(枝豆)や昆布だしで炊いたハスの実、麹で発酵させた南京(カボチャ)がのっている。日本で夏に開花するハスを用いたのは、野菜を使って「季節を召し上がっていただくコンセプトにしている」(今村シェフ)からだ。
その後、クロアワビ、キンメダイ、マグロ、キンキなど、信頼を置く仲買人が豊洲市場で調達した魚介類と肉をメインにした料理が続く。多彩な野菜で彩るのが特徴だ。英語と広東語で料理を説明し、食後は食材や食器に込めた意味など、ゲストからの質問に丁寧に答える。
こうしたスタイルを確立したのは、香港の日本料理店で料理長を務めた時だ。「アジアの富裕層に野菜は受けない」と周囲から忠告されたが、今村シェフの料理で初めて野菜をおいしいと感じたというリピーターが増え、香港でミシュラン一つ星を獲得した。現在では各国に「今村マニア」がいるという。
料理人として円熟の域に達しつつある今村シェフだが、過去には成功と挫折を経験した。高校卒業後、福岡のすし懐石店で修行。24歳で渡米しニューヨークにある日本食店で料理長だった時、著名レストランガイドブックの評価で部門1位を3年連続獲得し、「有頂天になっていた」。
ところが、お祝いに訪れた福岡時代の兄弟子が料理を一口食べると「おいしくない。食材への愛が足りない」と酷評された。日本に戻って料理をゼロから学び直し、「再び海外で実力を試したい」とマカオ、香港、マニラの店を渡り歩いた。
「IMAMURA」には今村シェフに魅了された日本人を含む多くのファンが足を運ぶが、現在の来店客の7割はシンガポールの富裕層だ。「他国との関係を重視するシンガポールの国民は、異文化をリスペクトする。日本文化に触れて『非日常』を感じてもらえる場にしたい」
最後のデザートを食べ終わると、入店から3時間がすぎていた。この日、奥のカウンターで「仕込みにどれだけ時間かけているの?」と驚く二人は、いずれもミシュランの星を獲得したトップシェフだった。隣に座ったカップルは帰り際、今村シェフにこう声をかけた。「日本に帰る時でも、1週間以上は店を空けないで」
シンガポールで自らの名前を冠した店を開いてから約1年半。その実力は着実に美食家たちに浸透しつつある。
(「NIKKEI The STYLE」2023年8月27日付広告特集からの転載)
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